幸せな実現力を高めるための「大愚な生き方」

2019年5月28日 心と潜在意識

大愚(たいぐ)とは?

幸せな人生を実現することであり、ますます人生が楽しくなってくる生き方であり、人間の器を大きくする生き方です。

 

まず現代人の傾向として、頭でっかちな人が多い傾向です。

 

頭でっかちとは?

頭を働かせすぎてしまっているばかり、心の感度が鈍くなってしまっています。

理性のほうに偏り過ぎてしまい、感性がおろそかになっています。

賢く、利口に生きようとか
合理的、効率的に考えようとか

頭で考えすぎるあまり、自分の心の声を抑えつけてしまっています。

 

頭でっかちで生きてしまいますと、自分の心は十分には満たされませんし、人間の器が小さくなってしまいます。

 

頭でっかちな生き方から脱して、心を豊かにして満たしていくことが大愚な生き方です。

 

そして、頭でっかちな生き方をしてしまうとどんな風になっていくのか?

 

1、共感能力が低くなってしまう

 

人間関係を築き上げていく上で共感する力はとても重要な力になってきます。

共感能力が低くなっていることは豊かな人間関係をなかなか築けないことになってしまいがちです。

人は共感しあうことによって心と心がふれあいます。

共感しあうことによって分かりあえたという感覚を体験したり、共感することによって、相手とつながったという感覚を体験していきます。

人と人との結びつきに共感というものが不可欠であり、必須です。

 

共感というものは理性、感性でいうと、感性の働きになります。

 

例えば友達が相談ごとをもってきて、それに対して、共感的に話を聞く場合は感性で聞きます。

理性で相手の話を聞いてしまうと、最終的に共感できない、受容できないということになってしまいます。

なぜならば、理性というのは物事を合理的に捉えようとする性質をもっています。

 

人間ていうものは極めて非合理的な存在です。

わかっていてもできないとか、非合理的なものをたくさんかかえています。

理性で相手の話を聞いてしまうと、相手の合理的な部分にひっかかってしまいます。

最終的に相手のことを変えたくなります。

共感とは真逆です。

共感とは相手のあるがままを受容していくことです。

 

小さい時から効率的なものを求めたり、結果主義だったりが頭でっかちな人が増えている要因だと思われます。

 

つまり、共感するためには理性を一旦横に置いておくことが必要になります。

 

自分の物の見方であったり、自分の信じる正しさであったり、自分の価値観を横に置いておくこと

 

共感とは

自分の靴を脱いで、相手の靴を履くこと

 

byオットーシャーマン

 

例えば相手の話を聞いて

「あなたの話をずっと聞いているがどうしても理解できない」

場合は理性でみています。

 

理性というのは自分の価値観や自分の信じる正しさに基づいて、相手を評価や分析しています。

 

世の男性は女性より理性でみがちです。

夫に対して不満のダントツ1位は

話を聞いてくれない

 

耳では聞いています。

理性で聞いてしまうので、解決するアドバイスをしようとします。

これが原因じゃないのかと分析してしまったり、評価してしまったり、結局、この人に話をしないほうがよかったなどの感想をもつことが多いそうです。

多くの奥様、女性が望んでいるのはわかってほしい、共感してほしい。

理性的に聞くのが悪いという訳ではありません。

理性的に聞いたほうが良い場面もあります。

 

相手のことをわからなくてもいいので、相手の感じていることを感じようとしてみることが大切です。

 

2、感動の薄い人生になってしまう

 

みなさんは1日のうちに声をあげて大笑いすることはどれくらいありますか?

もしくはわくわくすること、ありがたいなぁと感じる時、心から感動したことは何回ありましたか?

 

0回という方もいると思います。

回数が少ないから悪いというわけではありません。

頭ばかり働かせすぎていると感受性が低下しているのかもしれません。

 

思考している時は過去や未来のことを意識しています。

 

今この瞬間に気づけないことがほとんどです。

今この瞬間を味わうことができるとそこからいろいろな感動が生まれます。

例えば子供というのは、今この瞬間を味合う達人です。

大人だったら気づきもしないことに気づいたり、感動したりします。

 

自然の不思議さに感動できる感性があります。(センスオブワンダー)

 

大人になると、特に現代人はこれを失いがちです。

心の豊かさをもたらしてくれるのは感性です。

自然の姿や不思議さだけでなく、幸せや自由や愛というのは頭で考えて理解するものではなく、心で感じる、味わうものです。

感受性があって初めて味わえます。

 

もし日常生活において感動が少ないと感じるときは頭を働かせすぎてしまっているのかなと思ってください。

 

3、安らぎのない人生になってしまいがち

 

頭で考えれば考えるほど、疑いというものがでてきます。

証拠のないものは信じられない、安らげない、安心できない。

それを補おうとして過剰な操作主義になります。

なんでも自分の思う通りに操作してしまうことです。

 

相手を自分の思うとおりにコントロールしようとする。

日頃から無意識にやっていたりします。

相手を避難したり、責めたり、説教したり、褒美でつったり、相手を操作してしまいます。

一時的にはよくても効果がでなくなりますので、ますます安らげなくなり、ますます操作主義になります。

悪循環です。

 

4、自由に行動することが、なかなかできなくなってしまい、その結果、自分の心の声を抑え付けてしまう

 

心の声とはあんなことをやってみたい、こんな生き方をしたいという声を抑えつけてしまうことです。

周りの人がどんな風に思うだろうかと考えすぎてしまい、自由に行動することができなくなります。

繰り返していると、だんだん自分の声が聞こえなくなっていきます。

 

5、人間性、人格が育たない人生になってしまう

 

頭でっかちな状態は計算高く、損得感情や、賢く生きようとか、あまりにもその傾向が強くなりすぎると、誠実な生き方や愚直な生き方を見失ってしまいます。

バランスは大切ですが、偏ってしまうと人間性や人格が育たなくなっていきます。

現代において、いかに器用にやるか、いかに効率的にやるか、いかに結果を出すかが重要視されています。

現代人の3大病といわれる

競争病、結果病、効率病です。

 

 

極端に頭でっかちな生き方を続けているとこうなってしまう可能性があります。