この世は仮説世界

2019年6月11日 心と潜在意識

 

多くの方が信じている常識も、社会通念も、科学も、すべては仮説にすぎません。

 

平安時代や江戸時代の人々が、当たり前のように「常識」や「社会通念」だと思っていたことは、現代人からみれば、奇妙で奇抜なものであったりします。

 

そこまで歴史を辿らなくても、我々の子供の頃を思い返してみただけでも、当時の常識と、今の常識で、ずいぶん違うものがあることに気づきます。

 

科学の学説にしても、定説と言われていたものが、ある発見によって180度くつがえることがあります。

 

何が言いたいかと言いますと、常識も、社会通念も、科学も、

「絶対不変の真実」

ではなく、

「現時点で採用されている仮説」

にすぎないということです。

 

そして我々が心の底で

「信じ込んでいること」(スキーマ)

つまり、私たちの「スキーマ」も実は「仮説」にすぎません。

 

例えば、

「自分はダメな人間だ」
「人に嫌われるべきではない」
「相手の期待に応えねばならない」

これらのスキーマは、本当は「仮説」にすぎないのですが、多くの場合、我々は自分のスキーマが「仮説」であることに気づいておらず、それが「真実」であると思い込んでいます。

 

そして、実際に我々は、自分のスキーマが真実であるという証拠をいくつも持っています。

 

例えば、

「自分がダメな人間だ」

というスキーマを持っている人は、自分がダメだという証拠をいくつも持っております。

 

そして、自分がダメな人間だという証拠がたくさんあるのだから、実際、

「自分はダメな人間なのだ」

「これが真実なのだ」

などと、無意識レベルで信じ込んでいるというわけです。

 

もしかしたら以下のように考える人もいるかもしれません。

 

「証拠がいくつもあるのならば、それは思い込み、信じ込みではなく、真実なのではないか」

 

確かに、あることについての証拠が揃っているのなら、そのことは真実と言ってもいいような気がします。

 

しかし、ここで問題になるのは、その証拠の信ぴょう性、信頼性です。

 

実は、我々の脳が集めてくる証拠は、ずいぶん偏ったものです。

 

我々の脳には

「確証バイアス」

というものが働いています。

 

「確証バイアス」

とは、自分の仮説や信じ込みと合致する情報ばかり集め、それに反する情報を無視してしまう傾向のことです。

 

ですので、

「自分はダメな人間である」

と思っている人は、自分がダメであることを証明するような事実ばかりを認識して、記憶し、自分がダメであることを反証するような事実は無視してしまうのです。

 

つまり、自分がダメであることを証明する事実は、脳のフィルターに引っかかって、しっかり認識され、記憶されますが、自分がダメであることに反する事実は、脳のフィルターを素通りしてしまうので、認識されないのです。

 

そして、その結果、

「自分はダメな人間である」

という証拠ばかりをたくさん集めることになるわけです。

 

「世界の見え方自体が、あなたの脳の中にある仮説によって決まっているのです」

 

「データを集める場合も、仮説(最初に決めた枠組み)があって、その枠組みの中でデータを解釈するわけです」

 

いまある枠組みに都合のいいように、事実のほうが捻じ曲げられてしまいます。

でも、本人には、事実を捻じ曲げたという意識はない。

自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られていることにも気づかないのです。

 

「愛される」

と思って生きるのか。

「愛されない」

と思って生きるのか。

 

この世界は誰の目にも等しく存在しているわけではありません。

まったく、同じ状況であっても、幸せを感じて生きる人と、不幸を感じて生きる人がいます。

 

なぜそんなことが起こるのでしょう?

それは、考え方が違うからです。

 

幸せな人は、自分が「愛される」という前提で生きています。

そう思って生きていると、幸せな現実ばかりが起きて、さらに心が豊かになっていきます。

 

逆に不幸せな人は自分は、「愛されない」という前提で生きています。

どんなに幸せな事が起こっても、それに気づかず、感じられず、心がすさんでいき、さらに不幸を呼び寄せてしまうのです。

 

嫌なことをやめたり、自分の好きなことをしたりしていると、

「あれがあれば」
「これがあったら」

という思いがなくなっていきます。

すると

「いまの状態で幸せ」

と、自然に感じるようになります。

 

あなたが幸せになる条件はすでにそこにあります。

ゆっくりといまの幸せを感じながらゆっくりと歩いていけばいいのです。