2019年7月2日 | 心と潜在意識 |
究極の夫婦愛について
実は「ゆるす」という難題に挑戦することの深い意味を考えるにあたって参考になるような、近年増加している夫婦問題のひとつに不妊治療の問題があります。
それは、いくら不妊治療を尽くしても、どうしても妊娠できなかった夫婦の間で生じる、愛ある「ゆるし」についての問題です。
近年の不妊治療技術の進歩には目を見張るものがありますが、それでもやはり、夫婦の60〜70%程度は、「いくら治療を尽くしても妊娠できなかった」という事実に直面します。
その時に、「ここで不妊治療を断念する」という、夫婦にとって非常に辛いはずの決心を円満に行えるかどうかは、まさに「夫婦がお互いに自分自身に対しても、ゆるし合うことができるか」という、夫婦愛の程度によるわけです。
一定期間、自分たちが納得する治療レベルの中で努力した結果として、もしも子どもに恵まれなくても後悔はしたくないですよね。
不妊治療でぶつかるかもしれない大きな壁がやってきたときこそ、ご夫婦で再度これまでの経過を振り返り、ゆっくり話あってください。
夫婦のコミュニケーションを蜜にしながら、検査結果や不妊原因についても見直してみましょう。
主治医や不妊カウンセラーとも話し合いましょう。
新しい方向が見つかり、納得いく話を聞くことができるかもしれません。
そこでは、たとえ子どもが得られなくても、自分の人生の納得と、新たな価値観や人生観が芽生えているはずです。
子どもに恵まれないからこそ、広がる可能性や得られるチャンスも多くあります。
限られた人生、かけがえのない人生の中で、子どもができないからこそ開かれる自分たちの新たな人生があります。
子どもがいなくても、順調な人生です。
このように、子どもを欲しながらも妊娠しなかった夫婦が直面すること、それがまさに、「自分をゆるし、お互いをゆるし合う」という、深い愛への挑戦です。
その試練を乗り越えて、心の底からゆるし合えた夫婦には、素晴らしい夫婦愛に満ちた、光ある人生がまっているに違いないでしょう。
それでは、どのようにすれば、私たちは相手を本当に「ゆるす」ことができるのでしょうか。
相手を本当に愛したいと願う場合には、「その相手がどのような人物であっても、ゆるすことができる」という自信を持てる水準にまで、自分を高めていくことが、その願いを叶える道だということです。
現在、ゆるせない相手をゆるすためには、自分の成熟度(愛する力)を高めるしかありません。
現在の成熟度のままで、いくら「ゆるそう、愛そう」と力んでも、できないものはできないのです。
愛のない行為とは、実は愛を求める叫びなのです。
あなたが攻撃されていると感じた時こそ、あなたの愛が求められているのです。
あなたが自分を守ろうとせずに、すすんでそれにこたえ、攻撃してくる人に愛をもって近づいたとき、その人はあなたの味方になります。
そして、これから先、良い時も苦しい時も常に誠実な友でいてくれることでしょう。
でもいまは、あなたの愛を必要としている時なのです。
確かにそれができれば、世の中から争いはなくなり、人類はみな幸せになることでしょう。
しかし、現実的に考えると、それは神ではなく人間にすぎない私たちにとって、無理難題でもあります。
なぜなら、私たちは、「相手の攻撃に対して愛を返したとしても、相手にはさっぱり通じず、かえって相手が調子づいて攻撃を強めてきたらどうしよう」などと、心配してしまうからです。
さらに、「そもそも攻撃的な人物というのは、自分が返す愛に関しても鈍感であるはずだ」と推測したくなるのが人情であるため、攻撃に対して無心に愛を返すことなど、ますます無意味な行為のように思えてくるわけです。
「いつ、いかなる場合にも、あらゆる相手に対して、ゆるさなければならないのか」という問題です。
ゆるすことの大切さは理解できるとしても、私たちは、世の中に対して明らかな不正を働く悪人をも、ゆるさなければならないのでしょうか?
また、たとえば自分の愛する人を殺した相手でさえも、ゆるさなければならないのでしょうか?
世の中には愛せなくても仕方がない場合や、愛さなくてもかまわない場合が存在します。
私たちが愛の対象とすべきなのは「生命・成長・喜び・自由」に属するものであるため、逆に「否定・死・強制」に属するものに対しては、毅然たる態度をもって、「ゆるさない」こともあり得ます。